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19世紀中期の大稲埕

1865年、イギリス人ジョン・ドッド(John Dodd)が訪台し、泉州安渓の茶苗を導入し、それを農家に貸与し茶葉を生産させ、ヴィクトリア英女王に献上された後に、Oriental Beauty(東方美人)と命名された。これにより台湾茶葉の名声が高まり、イギリスアメリカ向けに大量に輸出されるようになり、国際的な大稲埕茶市は光緒年代から日本統治時代まで隆盛を誇った。

洋行主導の茶葉貿易は急速に拡大し、それに伴って大稲埕に経済的恩恵をもたらすこととなった。この他通商は経済のみならず、多くの外国風建築物が建設されるなど、文化的な変化をも生み出すこととなった。

最盛期

1885年清朝は台湾に行省を設置することを決定し、劉銘伝を初代巡撫に任命した。鉄道の敷設以外にも劉銘伝は大稲埕に茶釐局軍裝機器局等の公共機関を設置し 。 またこの時期、地方有力者であった林維源李春生は共同出資して建昌公司を設立、大稲埕に建昌街(現在の貴徳街)を整備し、ここに洋風店舗を設立、それの貸し出しを開始し、洋風建築を用いた商業活動が行なわれるようになった。

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